グローバル科学トピック


グローバル科学トピック:012

June, 2010

おめでとう!ヒトゲノム解読10周年

今年、2010年は人間の遺伝情報(ヒトゲノム)の解読完了(ドラフト解読完了から、ちょうど10周年です!


おめでとう!ヒトゲノム解読10周年!


クリントン元・米大統領『ヒトゲノムの解読が、ほぼ完了した』

今からちょうど10年前の2000年6月26日、アメリカ合衆国のクリントン大統領(当時)は、会見でそのように発表しました。ヒトゲノム計画がスタートしてからおよそ10年、メンデルが発見した遺伝の法則が日の目を見てから、ちょうど100年後のことでした。

このヒトゲノムの解読は、アメリカ、イギリスを中心に、日本、ドイツ、フランスなどの研究者による国際協力体制で進められてきました。つまり、ヒトゲノムはどこかの国や人物のものではなく、全人類が手にした偉大な成果なのです。
クリントン大統領は次のようにも述べました。

ヒトゲノムは、人類がこれまでにつくったものの中で、もっとも価値のある偉大な地図だ

ですが、そもそもヒトゲノムとは何でしょう?
ゲノム[genome]とは、遺伝子[gene]と全て[-ome](あるいは染色体[chromosome])を組み合わせ、作られた言葉です。
ヒトゲノムは、ひとことで言えば「ヒトの遺伝情報全体」ということになりますが、もう少し詳しくお話ししたいと思います。

遺伝子をめぐる旅

メンデルオーストリアに生まれたグレゴール・メンデル(1822-1884)は、修道院の庭の一角で、エンドウマメの交配実験を行いました。それまで、両親にある形質(=特徴)は混ぜ合わされて子に伝わると考えられていましたが、この実験によって常に両親どちらかの形質しか現れず、中間の形質にはならないことがわかりました。また他にも、形質の現れ方の比率が常に一定であることなどから、形質を伝えるもの「遺伝子」の概念が誕生しました。

1900年になって、メンデルの実験が評価されるようになると、次々と遺伝子にまつわる発見、進展が続きます。ここから先の約50年間は、おびただしい人数の科学者がこの分野で活躍し、名を馳せました。以下、彼らの発見と遺伝子学の発展を年表形式で追ってみましょう。

  • 1900年・・・メンデルの実験が評価される
  • 1902年・・・アメリカの生物学者、ウォルター・S・サットンが、それまでただの概念だった遺伝子が、実際に「染色体」に含まれているのではないかと予想
  • 1910-20年・・・遺伝学者、トーマス・ハント・モーガンがショウジョウバエを用いた実証実験を行う
  • 1931年・・・生物学者、バーバラ・マクリントックのトウモロコシの実験によって証明される
  • 1944年・・・カナダ生まれのアメリカ人医師、オスワルド・エーブリーが、遺伝子の正体は染色体の中のDNA(デオキシリボ核酸)であることを示唆
  • 1952年・・・遺伝学者のアルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスがDNAを直接確認
  • 1953年・・・分子生物学者、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが、ロザリンド・フランクリン、モーリス・ウィルキンス、エルヴィン・シャルガフらのデータを元にして、DNAが “2重らせん構造” であることを発見

遺伝子科学に貢献した科学者

その構造とは次のようなものです。

DNAの二重らせん構造DNAのらせん部分は、リン酸基と糖が交互につながってできています。そこから内側に向けて4種類の塩基、アデニン(A)、チミン(T)、シトシン(C)、グアニン(G)のいずれかがつながっていて、それぞれ中央で水素結合で塩基同士が手をつないでいます(これを “塩基対” といいます)。このとき、AにはTが、CにはGがつながるという性質があり、このおかげで、DNAを複製することができるのです。

DNAの中で、このA、T、C、Gがどのような順番で並んでいるか。一見単純なようですが、これこそが生物の遺伝情報を決定するものです。ヒトは24種類の染色体(1〜22番染色体とX染色体,Y染色体)を持っています。その全ての塩基配列の情報、これが「ヒトゲノム」とよばれるものです(ちなみに、イヌの情報ならイヌゲノム、フグの情報ならフグゲノムと言います)。

なお、ヒトの場合、塩基配列の数はおよそ30億にのぼります。つまり、人間は一人ひとりが染色体1組の中に、A、T、C、Gの4文字で書かれた30億文字分の情報を持っており、この4文字の組み合わせが “その人がその人であるすべての特徴(顔つきや髪の色、体毛の濃さなどなど)” を決定しているのです。

人間(男性)の染色体30億文字!といっても中々実感が湧きませんが、たとえば1秒に1文字ずつ読んでいったとしても、丸々100年かかるほどの数!といえば、どれくらいスゴイ量の情報かわかっていただけるでしょうか。

…と、ここまで駆け足で説明してきましたが、ほぼ100年の間に、たくさんの人が研究を重ね、ゲノムにたどり着いたことが、伝わりましたでしょうか?

ゲノムでできること・わかること

ゲノムの解読が終わったことで、何ができるようになったのでしょう?
もっとも飛躍が期待されている分野のひとつに、「医療」があります。ある病気が発症するときには、遺伝と環境、両方の要因が影響していることが知られています。例えば、多くの人が困っている(?)肥満について見てみると、それに関わる遺伝子が数百種類もあることがわかります。もしかしたら、食欲を減らす働きをする遺伝子がうまく機能していなかったり、あるいは消費エネルギーが少なくてすむ遺伝子の持ち主である、なんていうことがあるのかもしれません。これも実際に自分の遺伝子を調べることができれば、自分の特徴に応じた痩せ方を知ることができるかもしれません(逆に、遺伝子のせいにできなくなる可能性もありますが…(笑))。

同じように、命にかかわるような病気であっても、遺伝子を調べることで、その人の特徴にあわせた、より効果的で副作用の少ない薬を使うこともできるようになるはずです。それにはコストの面などでまだまだいくつもの壁を超えなければいけませんが、そう遠くない未来には当たり前のことになっているかもしれません。

ネアンデルタール人の頭骨また、ゲノムを用いて、ヒトの歩んできた歴史を探ることも可能です。しかも、Y染色体のDNAを調べれば男性のヒトの流れ、ミトコンドリアに含まれるDNAを調べれば女性のヒトの流れと、性別をわけて知ることさえできるのです。実際、現在までに、世界中の全てのヒトの母型の家系をたどると、約12〜20万年前、アフリカに存在した一人の女性にたどりつくことが突きとめられました(一般的に「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれています)。
あるいは最近、3万年ほど前に絶滅したとされるネアンデルタール人のゲノムを調べたところ、現代に生きる私たちのゲノムの一部がネアンデルタール人に由来することがわかってきました。しかも、アフリカ大陸以外のヒトにその特徴が見られたことから、かつてヒトの祖先がアフリカを旅立った直後に、ネアンデルタール人と交配したのではないかと考えられています。

また、他の生物のゲノムを調べることも、とても重要です。たとえば、チンパンジーとヒトでは、ゲノムの違いはたったの1.23%しかありません(ヒト同士の違いは0.1%程度)。他の生物と比較することで、ヒトがヒトであるために必要な遺伝子も、いずれ見つかると期待されています。

ヒトゲノムの解読が「ほぼ完了した」と発表された10年前。当時の研究者たちは、もちろんヒトゲノムの解読がいずれ完了することを知っていました。しかしそれでも、この正式な発表に確かな未来を予感しました。なぜなら、ヒトゲノムの全貌が見えたことで、「全てのことは、ヒトゲノムの範囲の中で考えればいい」と、はっきりとわかったからです。このとき人類は、“人間の範囲が描かれた白地図” を手に入れたのです。

人類は地図を手に入れた

10年前、新しい地図「ゲノム」を手にした人類は、今まで立ち入ることのできなかった領域、新しい科学分野に足を踏み入れています。これは、数年で終わるような簡単な旅ではありません。「ゲノム」という地図を片手に旅立った人類は、これからどのような発見をしていくのでしょうか。

大航海時代、人々は世界地図を片手に、次々と大海原へ旅立っていきました。手にした地図を眺めながら、新しい大陸にどのような発見が待ち受けているのか、思いを馳せたことでしょう。彼らがどんな思いで水平線の向こうを見つめていたか。きっと、今、遺伝子工学の最先端で日夜ゲノムと取り組んでいる科学者の皆さんと、同じだったのではないでしょうか?

参考:
理化学研究所ゲノム科学総合研究組織
ヒトゲノムマップ
朝日新聞(2010年5月7日:ネアンデルタール人の遺伝子、我々にも? ゲノムで解明)

「ゲノムが世界を支配する」(2001年)中村祐輔・中村雅美著
「こんなことまでゲノムで決まる」(2005年)中込弥男著
「ヒトゲノムマップ」(2008 年)加納圭著

Photo : "Vitruvian Man by Leonardo da Vinci" (Public Domain), "Solution structure of a trans-opened (10S)-dA adduct of +)-(7S,8R,9S,10R)-7,8-dihydroxy-9,10-epoxy-7,8,9,10-tetrahydrobenzo[a]pyrene in a DNA duplex." by Zephyris(Creative Commons Attribution ShareAlike 3.0), "Official White House photo of President Bill Clinton, President of the United States." (Public Domain), "Gregor Mendel (1822-1884)" (Public Domain), "A portrait of Walter S. Sutton taken prior to 1916." (Public Domain), "James Watson, c. 2007" by Alison (Creative Commons Attribution 2.0 Generic), "Francis Crick in his office" by Marc Lieberman (Creative Commons Attribution 2.5 Generic), "DNA replication" (Public Domain), "Karyotype of a human male." (Public Domain), ”Static thumb frame of Animation of the structure of a section of DNA.” by Zephyris (Creative Commons Attribution ShareAlike 3.0), "Homo neanderthalensis" (Creative Commons Attribution 2.5 Generic)


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