グローバル科学トピック


グローバル科学トピック:010

May, 2010

大型ハドロン衝突型加速器、7TeVでの衝突実験に成功

ついに、CERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の実験が本格的に始まります!


ジュネーブの地下に建造されたLHC(大型ハドロン衝突型加速器)は、東京のJR・山手線ほどもある巨大な実験施設ジュネーブの地下に建造されたLHC(大型ハドロン衝突型加速器)は、東京のJR・山手線ほどもある巨大な実験施設
2010年3月30日、午後1時6分(日本時間午後8時6分)。スイスの西の端にあるジュネーブの町の“地下深い場所”で、大きな拍手が巻き起こりました。グローバル科学トピック:001でご紹介したLHC(大型ハドロン衝突型加速器)が、遂に人類史上最大の7TeV(7兆電子ボルト)という高エネルギーで、陽子を衝突させることに成功したのです!

この世紀の大実験を指揮したCERN(欧州原子核研究機構)のロルフ・ホイヤー所長は、ニュースのインタビューに応え「今日は素粒子物理研究者にとって素晴らしい日だ」と語りましたが、とんでもない!これは一部の研究者の皆さんだけではなく、人類科学史における素晴らしい日!と言って良いのではないでしょうか。

7TeV(7兆電子ボルト)ってどれくらいすごいの?


「7兆」という響きから「とんでもなく大きい!」ということはわかりますが、実際にはどれくらいのエネルギーなのでしょうか?まずはここで使われている[eV](エレクトロンボルト=電子ボルト)という単位について考えてみましょう。簡単に言えば、「1eVとは、ひとつの電子が1V(ボルト)の電位差から得るエネルギー」ということになります。

エネルギーの単位としては、一般に J(ジュール)の方がよく使われますが、原子や電子など、小さなエネルギーを扱うときには、主にeVを使います。なぜなら1evを J に換算すると…

1eV=およそ0.00000000000000000016J(1.6×10 -19 J)

と表記することになってしまうから… つまり原子や電子のエネルギーを J で扱おうとすると、0をいっぱい書かなくてはならず、不便なのです。

なお、今回の7TeVを J で書き直してみると…

7TeV=およそ0.0000011J(1.1×10 -6 J)

となります。1J は、1W(ワット)の豆電球を1秒間光らせるエネルギーなので、7TeVだと1Wの豆電球を0.0000011秒だけ光らせることができるエネルギー、ということになります。同様に、もう少しなじみのあるエネルギーの単位、cal(カロリー)でも考えてみましょう。こちらは食べ物を食べたときに得られるエネルギーの単位としてお馴染みですね。

7TeV=0.00000026cal(2.6×10 -7 cal)

となります。お米一粒を食べたときの摂取エネルギーがおよそ71calなので、7TeVはお米一粒にも遠く及びません(米1粒を0.02g、100gのカロリーを356Kcalとして計算した場合)。ですが…

なーんだ!?そんなに少ないエネルギーだったんだ!

なんて、思わないでくださいね。これはあくまでも、陽子一組が衝突する際のエネルギーです。陽子の質量は、私たちが普段の生活で目にするものと比べてとんでもなく軽いため(1.67×10 -27 kg)、7TeVのエネルギー=衝突する2つの陽子それぞれを、自身の質量のおよそ3700倍ものエネルギーで加速させた!ことになります。

これは、たとえば陽子を人間に置き換えてみると、体重60kgのオトナ二人を、それぞれ1日に太陽から地球に届くエネルギーの総量とほぼ同じエネルギーで加速させたことと等しくなります!どうですか?想像もできないほど、とんでもなく莫大なエネルギーなんだ!ということを、わかっていただけるでしょうか?

この7TeVでの衝突実験の様子は、インターネットで中継されました。そのため、ジュネーブにいたLHC関係者だけでなく、この実験を見守った世界中の科学者、研究者、そして科学に興味のある多くの人々が、この日の成功に拍手を送ったことと思います。もちろんLHCでの実験はこれが終わりではなく、施設の建造完了後の度重なる故障や不具合を克服した末に、これからやっと本番が始まるところです。

このあと1年半〜2年かけて、先日成功した7TeVでの稼働を続け、その後およそ1年の準備期間を経て、ついに最大14TeVでの衝突実験を行う予定になっています。また、今回の衝突で生成された粒子の解析もすでに始まっているようですので、その結果も楽しみにしたいと思います。

さて。LHCが無事稼働し始めたのは喜ばしいことですが、そもそもどうしてこれほど大がかりな実験を行うのでしょうか?その答えは、もちろん私たち人類がまだ知らない多くのことを確かめるため!ですが、中でもどうしても見つけたいもののひとつに「ヒッグス粒子」があります。

「神の素粒子」――― ヒッグス粒子とは?


ヒッグス粒子は、1964年にピーター・ヒッグス博士によってその存在が予告された未発見の素粒子で、この宇宙に存在するほとんどのものが質量を持っている原因が、このヒッグス粒子の働きだと想定されています。どういうことか、もう少し詳しくご説明しましょう。

宇宙ができたばかりの頃、空間は完璧な対称性を保っており、質量のない素粒子たちがこの対称性を保った空間を光速で飛び回っていました。ところがある時点で空間の対称性が破れ、このヒッグス粒子がすべての空間をすき間なく満たしてしまった!のです。そのため、それまでは光速で飛び回ることのできた多くの素粒子たちは、この時以降ヒッグス粒子とぶつかりながら(=相互作用しながら)進まなくてはならなくなってしまいました。


空っぽの箱の中では自由に動き回れるボール。でも箱の中が水で満たされてしまったら、ボールは水をかきわけながら進まなくてはなりません(=動くスピードが落ちます)。空っぽの箱の中では自由に動き回れるボール。でも箱の中が水で満たされてしまったら、ボールは水をかきわけながら進まなくてはなりません(=動くスピードが落ちます)。
この「動きにくくなったこと」が「質量を持つようになった」という意味になります。ヒッグス粒子との作用が大きい粒子ほど質量が大きく、高速で動くのがむずかしくなります。ヒッグス粒子とまったく反応しないもの(たとえば光子)だけが、宇宙創世時と変わらず質量=0のまま、光速で飛び回り続けることができます。

すき間なく空間を埋めているはずなのに、検出できないヒッグス粒子。LHCの実験では、このヒッグス粒子を観測できるのでは?との期待が寄せられているのです。

…ところで、「LHCでヒッグス粒子が見つからない方に100ドル賭ける!」と言った人がいます。車椅子の物理学者として有名な、かのスティーヴン・ホーキング博士です。

賭け事が好きなホーキング博士


ホーキング博士ホーキング博士実はホーキング博士、物理学の実験や理論について、同僚とよく賭けをすることで知られています。そして、ついでに言えば、なんと博士は賭によく負けることで有名なのです。

たとえば、ブラックホールが実在するかどうか、まだわかっていなかった1974年。ホーキング博士は友人の物理学者キップ・ソーン氏と、「白鳥座X-1にブラックホールがあるかどうか?」について、お互いに好きな雑誌の定期購読を賭けました。ホーキング博士は「ブラックホールはない」ほうに賭けましたが、やがてこれがブラックホールであることが証明され、1990年、ホーキング博士は負けを認めてソーン氏に雑誌1年分の定期購読を贈呈したそうです。

ホーキング博士といえば、実物が見つかるはるか以前から「ブラックホールの存在」を予想していた科学者の一人として有名です。ではなぜ「ブラックホールではない」方に賭けたのでしょうか?その理由は、彼の著書の中にこう書かれています。

“これは私流の保険のかけ方なのである。私はブラックホールについてずいぶん研究もしてきたし、もしブラックホールが存在しないことがわかれば、私のやってきたことは全部むだになってしまう。しかし、たとえそうなっても、賭けに勝ち、<プライベート・アイ>誌を四年分儲けたという慰めが私には残る。”
「ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで」(1989年)より


博士は賭けをした当時、ブラックホールがあることは80%確実だった、とも書いています。なるほど。博士は、ほとんど確信していることでも、ひょっとして間違いだった時のためにワザと負けそうな方に賭けているのですね。

あれぇ? そのホーキング博士が「ヒッグス粒子は見つからない」ほうに賭けている、ということは…?

参考:
LHC - THE LARGE HADRON COLLIDER(英文)
LHC アトラス実験
BBC(英文)
AFPBB News
LHCアトラス実験グループオフィシャルブログ
日本食品標準成分表

図書:
「ホーキング、宇宙を語る ブッグバンからブラックホールまで」(1989年)スティーブン・W・ホーキング・著 林一・訳(引用は1990年8月15日29版 P.131,132)
「見えない宇宙 理論天文学の楽しみ」(2008年)ダン・フーパー・著 柳下貢崇・訳

「LHC」photo by CERN、「Stephen_Hawking.StarChild 」photo by NASA (public domain)


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