「不思議だなぁ...」と思うことが、科学する心の第一歩です。みんなが毎日便利に使っている機械の内側には、そんな不思議の秘密がぎっしり詰まっています。「キッズのためのQ&A」では、タカハシ博士とコーラ隊長が、皆さんから寄せられたコピー機、プリンター、ファックスについての質問にお答えします。なぜだろう?不思議だなぁ!と思ったら、ここをクリックしてメールで質問を送ってください。
コピーとコピー機の歴史に関する質問
井田耕太朗くんからの質問:
「どうやって、コピーを作る方法を思いついたのですか?」
コピーを作る方法を、どんな人が?いつ?なぜ?発明するに至ったのかを説明することで、井田さんの質問にお答えすることにします。
「コピー機になってみよう!」に参加した皆さんは、コピー機の中で起こっている手順を実際に体験し、自分が描いた原稿のコピーを作りましたね。コピーを作る原理と仕組みは、多くの研究者や企業の技術者の創意工夫が取り入れられ、長い時間をかけて現在のような形になりました。
今から70年以上も昔の西暦1935年に、この現在のコピー機の原型を最初に発明したのは、アメリカのチェスター・カールソンという人でした。またこのカールソンの発明をもとに、商品としてのコピー機が発売されたのは、発明から15年後、1950年のことです。最初のコピー機は、まさに皆さんが実験で行ったように、手動で帯電〜露光〜現像〜転写〜定着〜クリーニングを行うものだったため、1枚のコピーを作るのに2〜3分も時間がかかるものでした。
さて。では、カールソンはどのようなきっかけで、コピー機の原理や仕組みを発明するに至ったのでしょう?
カールソンの紹介と発明に至った背景
両親が病気で働けなかったので、カールソンは高校生の時にはもう夕方や週末に働いて家計を助けていたようです。そして苦学してカルフォニア工科大学物理学部を卒業しましたが、当時は不況でなかなか仕事が見つからず、職を求めて大都会・ニューヨークに出てきました。ここで転々と職を変え、ようやく「P.R.マロニー社」という会社の特許部(企業の発明を審査・申請する部署)に安定した職を得、ここで特許申請の仕事をしていました。
この「特許申請」という仕事について、少し説明しておきましょう。
企業は自分たちが発明したアイデアを他の企業に無断で真似されないよう、特許庁という役所に発明の内容を申請し、「一番最初にそのアイデアを発明したのは自分たちだという主張を認めてもらう(=特許)」ことにより、権利を守っています。特許申請の仕事とは、役所にその発明者としての権利を認めてもらう作業のことで、資格を持った「弁理士」という専門家の人たちが、発明のアイデアを整理して書類を作成し、申請手続きを行っています(カールソンは弁理士の資格を持っていたようです)。
弁理士はさまざまな文献を調査して、これから特許申請する発明やアイデアが確かに世の中で初めてのものであり、同時に有益なものであることを立証して、特許の権利を主張しなければなりません。ですから、カールソンも日頃から多くの発明に関する文献に触れており、その分野の豊富な情報/知識を持っていたと思われます。
この特許部でカールソンは、日夜、タイプライターと手書きによる文書作成に追われていました。ですが、申請に必要な書類は大量にあり、タイプライターや手書きでは時間がかかって仕方がありません。このような状況の中で、カールソンは速くて、正確なコピー(複写)を作る方法がないか、強く思うようになりました。
当時、同じ書類を何部も作る(コピーを作る)ためには、カメラで書類そのものを撮影するか、あるいはジアゾと呼ばれる手法で青写真を作るしか方法がありませんでしたが、カメラによる撮影はあまりに時間がかかる上に高価であり、ジアゾ(青写真)はすぐできるものの画像が粗く、満足のいくものはありませんでした。
カメラやジアゾは液体(現像液など)を使った化学的な処理で複写を作る方法ですが、カールソンはこの方法では速くて正確なコピーを作れないと気づき、やがて「物理的な手段」、完全に液体を使わない方法(ドライ方式)でコピーを作れるようにならないか?と考え始めました。
そんなある日、カールソンは特許申請のために調査中の文献の中に、注意を引く発明の記述を発見しました。それは「静電記録」という技術でした。カールソンは、この静電記録に「光導電性」という物質の性質を組み合わせればコピーができる!と直感的に閃いた、と、のちに語っています。
それでは、その静電記録と光導電性について説明しましょう。
当時、静電記録という最新の科学的手法が文献で発表されました。静電記録は、絶縁性の(電気を通さない)フィルムの上に電子銃を走査して、静電気による電気パターンを形成し、そこに粉を振り掛けて(現像)から記録するとういものでした。
また光導電性とは、暗いところでは電気が流れずに溜まり(=絶縁性の性質を示す)、光が当たると溜まっていた電気が流れる(=導電性の性質を示す)不思議な現象ですが、当時すでに、ある種の材料に「光導電性を示すものがある」ということが知られていました。このような材料を光導電性材料と呼びます(皆さんが実験で使った「感光紙」は、この光導電性材料の一つです)。
カールソンはこの光導電性をうまく利用して、光学的にコピーすべきものの静電気の像を作り、それにインクの粉末を付着させてから、浮かび上がった像を紙に写してはどうだろう?と考えたのでした。そして、これはまさに現在のコピー機が採用している方法そのものです。
さて、このひらめきを形にするために、カールソンはどうしたでしょう?
カールソンは自分のアイデアを実現すべく、何ヶ月にもわたって一人で研究したあと、助手を雇いました。それから更に数ヵ月。ニューヨークの狭い実験室で、彼は場所と日時を書いた簡単な原稿をガラス板の上に記録することに成功しました。手書きの数字やアルファベットがきちんと複写できました。最初に文字が現われたときは、さぞかし感激したでしょうね。
それから6年後、カールソンはこの新しいコピー技術の開発を援助してくれる会社を探し歩きました。20社もの会社が彼の実験を見ましたが、当時はどこもあまり興味を示さなかったようです。
そんなある日、バッテル研究所という施設からR.W.デイトン博士という人が、たまたま特許申請のためにマロニー社を訪れました。カールソンは自身の発明を細かく説明し、博士はその価値を認めてくれました。こうして、ようやく1944年、非営利団体・バッテルメモリアル研究所のR.M.シャファートという人が、カールソンの発明をもとにした研究・開発を行うことになったのです。
この研究・開発期間には、幾つかの追加の重要な発明も行われ、その発明を実用化するための研究がまた続けられました。たとえば、高感度なアモルファスSe感光体、各種の乾式二成分現像法、均一な帯電方式、トナー像の紙へのコロナ転写方式、熱板定着法、感光体のクリーニング法などです。
カールソンの複写を作る方法が、はじめて公式に紹介されたのは、1948年の10月22日、米国光学会の年会でのことでした。実にカールソンが初めてコピーを作ることに成功してから、ちょうど10年目のことでした。そしてこのカールソンの発明を基にした史上初めての「コピー機」が、1950年にようやく発売されたのです。
以上がコピー機が誕生した経過ですが、カールソンは自分の仕事で書類作成のために多くの時間を費やしていたので、速く正確にコピーを作る方法がないか?と、強く心に望んでいたのですね。この強い思いがコピー機の原理を発明し、完成させるための大きなエネルギーになっていたのです。そしてカメラによる撮影やジアゾ(青写真)のような化学的な処理では時間がかかるので、液体を使わない方式でなければならないという確信を持ち続けたことも、大きなエネルギーだったと思います。このようなことを常日頃から考え続けていたからこそ、あるとき他の技術の発明情報から「ひらめいた」のでしょう。